アジア共生の祭典記念モニュメント
アジア共生の祭典記念モニュメント (愛知県護国神社に建立)
人・自然・宇宙との共生をテーマとしてシンボライズした三枚の
花びらが天を仰ぐ


企画・デザイン:藤原歳久

(環境会議所 理事長、中京大学講師)



「複雑系社会における次世代環境デザイン」 講師:藤原歳久

 
藤原でございます。 さて、今日のテーマ、「複雑系社会における次世代環境デザイン」についてですが、今日のグローバル化、IT革命、環境問題、少子高齢化、教育問題、政治経済、どれ一つとっても複雑なシステムと言えます。今日はこのことの問題解決策というよりもむしろ次世代の環境デザインとはどうあるべきかと言った問題提起を中心に話を進めて参りたいと思います。 私が常に思うことは、我々大人の責任と義務とはどういった事だろうかということですね。やはり次の世代の子供たちのためにバランスの取れた環境を残すことだと思います。環境、「Ecology」そして「Environment」ですね。「Ecology」というのは生態系、一般的にエコと言われています。「Environment」というのは、周辺の状況、生活環境、美的環境などが考えられます。先人の心を学んで、共感に基づいた心のネットワークを築き、普遍的な環境倫理を作っていく必要があると思います。
 私事になりますが、私は長年大学で建築デザインの教育に携わって参りました。多くの学生に接しますと、日本人の美に対する共通した認識や感性のようなものを感じることができました。特に幾何学的パターンや平面構成の実習で時折ハッとするような作品に出会います。
 十数年前、アメリカのシカゴの大学で講演の話があった時に学生の実習作品のスライドを紹介しながら私の専門の立場から話したところ、先方の教授や大学院の学生が一様に驚きの表情を見せこう言いました。「日本人の学生は何故こんなにデザインセンスがいいんでしょうか」「あなたは良い作品ばかり厳選してきたんじゃないでしょうか」と言う質問を投げかけられました。私としてはごく一般的なデザイン教育の課題作品を見せたつもりであり、これは意外な反応でした。
 この時以来私はある思いをいだくようになりました。一つにはデザイン系学生の作品であったにせよ、その中に日本人本来の美意識と平面構成による造形能力の高さを見ることができたと言うことですよね。そこでこれは強引な論法ですが、私はかつてのジャポニズムの原点は、今なお日本人の血に流れている美意識と造形力にあるのではないかという潜在的な意識をずっと持ち続けて参りました。 今日の日本のアニメーション文化が世界に広がっていったのもうなずけるかと思います。「ピカチュー」だとか「アルプスの少女ハイジ」。例えばピカチューですね。これは、動物なのか怪獣なのか分かりませんけれども、「ピカチュー」と言ってそういう、言葉が通じる、そしてコミュニケーションが出来る。あまり物を言わない日本人という象徴的な見方が考えられます。アルプスの少女ハイジにおいて本家本場のスイスの中で、これを見た子供たちは礼儀正しくなったという、こういった現象が起こっている訳なんですね。日本のアニメーションは色もきれいで画面構成も良いという評判であります。
 私は日本人の美意識が非定形と、アシンメトリーの高度な造形原理にあると思います。アシンメトリーというのは、対称がシンメトリーに対して非対称アシンメトリーと言います。その非定形つまり、茶の湯文化の茶室の曲がった柱、形がいびつ、ひび割れたうわぐすりが均一でない陶芸作品など非定形に限りない愛着を持っている日本人の造形原理には理由があるわけですね。それは、フラクタル幾何学という1970年代に提唱された複雑系の理論であります。またフラクタルには、黄金比に深い関係があり、結果として非定形の美にも黄金比が含まれていると言われています。
 21世紀になり、日本人がかつて美意識の拠り所にしていた侘び寂び、風流といった、造形的な美しさに加わった感性の重要性が問われています。私は、現代社会において日本人の感性がよみがえる事が美の源泉となり、豊かな文化を育むことができると思います。
 かつて日本人が持っていたが、しかし現在は失ってしまったと思われる優れた美意識は現在なお、私達の血に流れているということを知り、少しでも感性豊かな美的生活を送ることが大切だと思います。 このような中、次世代環境デザインとは、この日本の美意識は自然と一体になることが大きな目的であると古来から言われています。つまり、自然の叡知に学ぶことだと思います。これは愛知万博(愛・地球博)のメーンテーマでもあります。
 次に複雑系とはということですが、例えば多くの要素がお互いに影響を及ぼしあって形作られているような系(脳など)では、部分の総和以上の動きを系全体として示す、といったようなことが研究の対象にされてきたのです。つまり「複雑」とは単に多くの要素がややこしく絡み合っているだけでなく、その関係からさらに高次の何かを見せてくれるようなことをいっているのです。そしてそのように「複雑」なシステムのことを複雑系といっているのです。
 さて、部分の総和以上のことは従来のまずは細かく要素に分けてそこから再構築する考え方では研究できません。つまり科学の仕方に大きな転機が訪れています。この点が「複雑系」がここまで騒がれている要因の一つです。 ともかく数年前から話題になっている「複雑系」ですが、いまだ科学者の世界でも普遍的な定義はありません、そこで私は先ほどの日本人の美意識を切り口に複雑系の中のフラクタル(自己相似性)についてもう少し詳しく話をいたします。
 日本人がこれほどまでに自然の造形にこだわった理由はいったい何であっただろうか?豊かな自然の姿や形に美を見いだし、人の手で再び自然を写し取ったり「見立て」や「借景」といった日本人独特の自然に対する接し方を会得しました、 やがて日本人独自の美意識を育み、日本文化を支える美学が成立しました。自然を観察する日本人の細やかな情緒性が野辺に咲く山草、雑草や小動物にも目を向け美の対象としました。
 絵画や彫刻だけが唯一、芸術の対象となった芸術至上主義のヨーロッパに対し、日本人はこのように自然を日常生活に取り込み、生活空間の中の芸術として絵画や彫刻という枠を取り払い、工芸や染織などの装飾芸術、日常使用する道具や雑器までも生活美学として享受する土壌を作り上げてきました。 ところが自然の造形を模したり、見立てる美の造形原理についてはこれまであまり言及されてこなかったわけですね。確かに自然界における星雲の渦巻き、月や太陽の円、放射状に広がる光あるいは動植物に見られる螺旋構造や対称性などの数理的な分析については多くの研究者たちの報告がありますが、自然の景観や複雑な形については一様に自然界の見えざる神の手の一定秩序に基づき作られた形としか説明されてなかったわけです。その見えざる秩序は1975年IBMワシントン研究所の研究員で数学者のベノア・マンデルブロによって提唱されたフラクタル理論であり、カオスと共に今日複雑系といわれる、まったく新しい幾何学です。このフラクタル幾何学は自己相似性という性質を持ち、そのフラクタル次元というパラメーターによって形の複雑さを規定できます。自己相似性とはある形の一部を切り取ってみても全体の印象と違わない性質をいいます。つまり、形の一部と全体が相似であり、どの部分をとってみてもそれだけでは相似性のため、どの倍率で測られたのか全く分からない性質をもっている。実は自然界の様々な形や現象は、この自己相似性という性質を内包したフラクタルの形であふれていることが解明されたのです。雲の形、山並みの稜線、森林の様子、蛇行する川の流れ、樹木の枝分かれ、自然の形はフラクタル次元によって規定されるフラクタル造形であるといえます。フラクタル造形はフラクタル幾何学によって証明されるゆえ、再現性をもった形ということができます。これまで自然界の形は複雑で科学的に説明不可能とされていただけに、180度逆転したこの考え方に対し不信感を持つ方もおられると思いますが、フラクタル次元の膨大なくり返しの演算によって答えを出し、さらにコンピューターグラフィックスを使って視覚化することができます。すると、現実にはないが写真と見分けのつかない山並みや雲の様子が再現できるという事です。
 つまり、これまで一定の規定を保たず複雑きわまりなく定量化できない形と思われていた自然景観の造形要素が一定の数式で表すことが出きることが分かったわけです。ということは、フラクタル次元というあるパラメータを与えると、そっくりコンピュータグラフィックスによって映像として再現できるわけですね。それは日本人が従来美を学ぶ師として崇めていた自然の造形に一定の秩序のような摂理が潜んでおり、これがフラクタル造形というべき形であったということです。これまで日本人は無意識に自然に対してあこがれを抱き、本能的に自然の造形を美術や工芸に再現しようと努力してきた。つまりこれが日本文化のエッセンスであるといえます。創造の世界にできるだけ自然の素材やテクスチャ、それにモチーフそのものをそのまま自然から取り込み、芸術的表現に利用していくという、これまでの日本人の美意識には自然界のつくりだした美の原理、フラクタルを上手に利用していこうとする意思が本能的に働いていたかもしれないと思います。今さらながら、日本人の自然主義観と美に対する卓越した先見性に脱帽する次第です。
 このように自然界の造形には、実はフラクタルというある数学的な秩序をもった形が沢山あり、このフラクタル造形は古くから人間が美の原理として崇拝していた黄金比(整数比に直すと55:89)ともきわめて近い関係にあったといわれています。フラクタルやカオスなど、いわゆる複雑系の物理学ではいまだ解明できない点が多く、今後の研究成果に期待しなければならないのであるが、その複雑さのため、定量化不可能と烙印を押されていた自然界の造形にも一定の秩序があり、しかも黄金比という、美の原理に近い関係にあるということが解っただけでも、実にすばらしいことだと思います。
 私はこうした日本人の自然と共に在る美に対峙する姿勢は、世界の歴史きわめて稀であり、誇るべき日本人の所産であると考えます。
 そして日本文化は非定形文化であり、フラクタル文化だったといえます。 このように日本には先祖代々脈々と受け継がれてきた、世界に誇る日本人の美意識の血が流れているわけですから、我々はそのことを自信と誇りに思うべきだと考えます。次世代環境デザインはこの事を先人から受け継ぎ次の世代にバトンタッチすることが大切であると思います。
 今までのアーティストはフラクタルといった理論を知ってか知らずか美術・工芸を行ってきたわけですが、今後フラクタルというものをわかる事により、逆にフラクタルを使って新しい形、デザイン、フラクタルをシュミレーションしながら数式の中にパラメーターに当たる部分を様々に変えることにより、いろいろな形が人間の手をえずして出来てくる、このバリエーションをコンピューターによって作り、自分の感性に合ったものをチョイスするといった、これまでになかった美の可能性が出来上がってくると思います。例えばあたかも窯の中に入れた焼き物のごとく、取り出してみると新しい形態や思いもよらない驚きがコンピューターによってできるのではないかと思います。
 このように、コンピュータが作る自然といった広がりや選択肢がひろがり。アーティストにとって新しい創形の可能性を秘めたツールになり、この事が次世代の環境デザインの一つの考えと言えるでしょう。
 次に、お手元の資料にある環境会議所についてですが、現在、啓蒙・啓発活動を行っています。21世紀のキーワードは環境ですね。そして「循環の世紀」と言われ、環境保全と企業活動が調和したバランスの取れた循環型経済社会システムへの変革が求められています。
 複雑系といえる自然界におけるすべての営みは「食物連鎖」によって完璧なリサイクルのプロセスを作り上げています。同様に私たちもリサイクルのプロセスを創ることにより、自然との共生を実現できるのではないかと思います。 かつての日本人の祖先は、自然からの恩恵がなければ、水も米も山の幸も得られないことをよく知っていました。自分たちが自然に生かされていること、人間は自然と共存するような大きな存在ではなく、自然は畏敬する存在であることを肌で感じていました。自然は宇宙そのものであり、人間はその中で生かされている小さな存在でしかないという事ですね。 自然の心の判らない所では人間は生きてゆけなかったため、その心を読むためにセンスを研ぎ澄ましてきました、このことが生活の「節度」を大切にした日本文化を生みだしました。たとえば日本人に一番身近な里山は、人との間に確かな絆があり、炭焼き等の文化が生まれました。そして里山はリサイクル可能な資源として人の生活に豊かさを与えてくれたわけですね。 このように我々の身近にある里山を通じて自然を考えることにより、祖先の心を再認識し、現代人が見失っている自然との絆と日本人の心がよみがえるならば、環境問題は解決するのではないでしょうか。なぜなら環境問題は結局のところ心の問題だと思うからです。
 昔、私が幼い頃、田舎ではバチが当たるとか、もったいない、目がつぶれるといった、自然に対する畏敬の念から、人間以上の大きなものに対する「おそれ」があった様に思い出されます。それが親から子へ伝わってきました。私が最初にお話しした通り、私たち大人の責任と義務は、次世代の子供たちのためにバランスのとれた環境を残すことだと思います。
 私は環境会議所を設立するに当たり、大きな目的に次世代環境デザインを掲げました。それはバランスの取れた環境デザインといって良いと思います。
 この会議所を成功に導くためにはまずは、私たちひとりひとりの意識改革と地域社会との絆の回復にあると思います。環境会議所は組織とか団体の枠を越えた責任ある市民、つまり公共心をもった個人として国家、国民のために先人の心を学ぶことからスタートし、人と人との共感に基づいた心のネットワークを築き、この愛知から国境を越えた普遍的な環境倫理をつくり、発信し、次世代の子供たちのためにそして世界の人々の平和のために運動を推進して参りますので、皆様ご支援の程、よろしくお願いいたします。
キーワードは「環境と平和」です。皆様のご理解とご支援を賜りますと共に、積極的なご参加をお願い申し上げます。
今日はご静聴ありがとうございました。         

平成13年3月2日 国際センター