堀川は、今から390年前の慶長15年(1610年)徳川家康の命を受けた福島政則が開削工事に着手、翌年に完成して「堀川」と命名したと伝えられています。寛永6年(1629年)頃には白鳥貯木場が整備されるなど、水運を利用した幹線輸送路として城下町名古屋の発展に堀川が貢献しました。

今日は、堀川を取り巻く市民の意識に、少しずつ変化が起き始めています。諸悪の根源だったヘドロは約80%が取り除かれ、毎年、多くの市民がタモやゴミ袋を手に堀川に繰り出す「堀川一斉大そうじ」も恒例になってきました。
 そんな活動の先頭に立つのが、6つの団体が寄り集まってできた「クリーン堀川」(小山太郎会長)です。この団体の結成により、堀川浄化に向けた取組みは益々熱を帯びてきました。その中核を担うのが、北区の「黒川ドリーム会」、西区の「堀川とまちづくりを考える会」、中区の「広小路セントラルエリア活性化協議会」、熱田区の「堀川まつり実行委員会」、「市邨学園堀川を清流にする実行委員会」そして「全名古屋ライオンズクラブ連絡会」の6つの団体です。それぞれが、地域の特徴や団体の独自性を生かして、堀川の清掃活動や市民を巻き込んだイベント、また情報誌発刊など、さまざまな取組みを実践してきました。それぞれの団体が直面していた共通の課題は、活動の効果に対する「限界」でした。

今は、堀川の水が枯渇しないように庄内川から導水しているが、一部の清流に息づく植物は死滅していると言われています。それは庄内川の汚染も原因のひとつであると考えられています。この事から堀川の浄化と庄内川の浄化の二本セットで考える必要があります。

名古屋の街の中心を流れる堀川を、「うるおい空間」として市民に愛され、「名古屋のシンボルである川」に甦らせたい。堀川の再生は、2005年の愛・地球博までにはゲイトシティ名古屋の美しくなった堀川を世界の人々にアピールしたいものです。その実現のためには行政、市民、庄内川・堀川周辺の地域住民や、土地・建物の所有者、船の運航業者等が、それぞれの役割を担い、相互の協力が必要である。行政には庄内川からの継続的な導水など、よりいっそうの水質浄化推進に努めて頂きたい。
堀川浄化の為には地域住民の更なる意識改革と自然の摂理に沿った事業計画が必要と考えられます。

環境会議所は環境保全のために啓蒙・啓発事業などの積極的な活動をしています。なかでも有用微生物に着目し、水質汚濁防止に微生物がどのような効果があるか実証実験を行なうなどの計画があります。

2005年愛・地球博開催までに堀川の再生をはかり川に清流が戻り、「うるおいのある、市民から愛される川」となることを願います。

                 

                                                          平成14年1月18日

環境会議所

horikawa