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名古屋城本丸御殿再建

  旧国宝・名古屋城本丸御殿は、昭和20年5月14日、空襲により焼失しました。
  近世武家文化を象徴する正統な書院建築で、現存すれば、京都二条城二の丸御殿と
  双璧をなすものです。その内部は、狩野派の絵師による障壁画に囲まれた、見事な
  芸術品でもありました。
  御殿の再建に向けて、有志の運動が繰り広げられていますが、アプスインターナシ
  ョナル代表取締役、建築家・藤原歳久氏は、早くから中心人物として、本丸御殿再
  建・まちづくりに取り組んでいます。
  本丸御殿が再建されれば、名古屋から世界にアピールできるものとなると同時に、
  伝統の技術を見直し、後継者に伝えていくよい機会になります。
  藤原氏の、本丸御殿再建に向けての姿勢と情熱が、記事に取り上げられています。


    


  名古屋城と本丸御殿   

  

  ■配置
   名古屋城は城地北寄り中央に本丸を構え、これを取り囲んで西北に深井丸、西南に
  西之丸、東南に二之丸、その南側東方から西方に三之丸を配置していました。
   本丸御殿は、天守のある本丸のほぼ中央に南面して建てられていた書院造りの大建
  築です。

  ■規模
   名古屋城は、1615年に将軍・徳川家康の命で造営されました。戦乱から太平へ
  の過渡期に造られ、優美な外観をもっています。総床面積は、史上最大規模の1万1
  千3百坪です。御殿(藩主の居館・迎賓館)の建築にも力が注がれ、本丸御殿は、約
  千坪の規模をもっています。(畳数にすると2千畳以上)

  ■そのままで美術館
   本丸御殿の内部は、狩野探幽らの絵師による襖絵、天井板絵、欄間等に囲まれた空
  間で、それぞれ部屋の使途によって明確なコンセプトを持っており、部屋全体が一つ
  の絵巻きを構成していました。
   建築・美術・工芸が一体となった空間で、そのままで美術館と言えるものでした。
  幸いにも焼失を免れた襖絵が1047点残っていますが、それらを単体として鑑賞す
  るだけでなく、それらが複合された空間を鑑賞することが是非とも必要です。

  ■新たな創造の糧
   城は、将軍や藩主の権威付けのために造られたという見方もあります。しかし、宮
  大工、襖絵師、欄間の彫師、金具職人など有名無名の職人たちが注いだ技とエネルギ
  ーは、施主の意図を越え、時代を越え、私達に迫るものがあります。
   それは、一つの時代精神を体現しており、現代的創造にも刺激を与える貴重な伝統
  文化です。
   周知の様に、伝統工法の職人は急速に減少しています。名古屋城本丸御殿の再建に
  は、10年余がかかると見られていますが、今なら再建は可能といわれています。再
  建過程を通じて、技術を伝承し、記録・公開していくことも可能です。伝統の技に科
  学的な研究の光をあて、世界の共通財産としていくことが、国際都市・デザイン都市
  を目指す名古屋にとって、必要なことではないでしょうか。
   ルネサンス文化は、メディチ家というパトロンにより花開き、日本の桃山文化は、
  秀吉、家康という天下人により支えられました。しかし、現代は我々市民が、市民の
  支える都市が、過去の遺産を受け継ぎ、未来への街づくりに積極的に取り組む番では
  ないでしょうか。
   名古屋城本丸御殿の再建を是非とも実現させたいと思っています。一人でも多くの
  方に、関心を持ち、新しい時代にどのように生かしていくのかお考えいただければ幸
  いです。